非破壊

帰宅後、部屋が暗いまま台所の窓を開ける。窓際に空のビンやら缶やらを置いており、その下にはさらに雑多な物達があり、さらにその下は今日の朝に使った食器があるわけであり、当然この状況で何か悪いことが起こらないはずがない。窓を開けながら「何か起きるぞ、開けるのを止めるか電気を付けるかした方がいいぞ」と悪いことが起きることを予感している、あの妙にスローモーな感覚を暗闇で味わっていたのだけれども、ガラスとガラス、ガラスと陶器がぶつかる派手な音で急に現実感が戻った。
電気を付けなくても分かる。窓際に置いていたビンだか缶だかが下に落ち、そこにあった洗剤やら空きビンやらをさらに下に落とし、流しの食器を割ったのだ。電気を付ける束の間、今日の朝流しに出した食器は大した物はないはずだし、恐らく割れたのはグラスだろう、あれは実家に余りが大量にあるはずなので取りに行けばいい、モロゾフのプリンの容器なのだからもしなければ買えばいいのだし・・・などと考えていたのだけれど、どうも先程の音は派手すぎる。何と言えばいいのか、景気が良い音過ぎたのだ。いや、起きている状況を考えるに景気の悪い音と言うべきなのか、とにかく簡単にグラスが割れた音ではない気がする。
電気を付けて流しを見ると、果たして窓際の缶が下に落ち、置いてあったビンがさらに下の流しに落ち、食器を割っていた。きれいだからといって要らないビンなど流しの近くに置くから・・・と妙に反省をしてみている場合ではない。どうやら代替のきくグラスだけではなく、人から贈られたマグカップまで割れているではないか。記憶を辿るまでもなく、これは地方の美術館で売っていたものを土産でもらったので、入手困難なはずだ。五年以上使っていたのではないだろうか。
グラスとマグカップを割った空き瓶はと言うと、再利用を前提に作られた厚いビンであったせいか、当たり所が良かったのか、ヒビも入っていない。工業製品と商品の耐久性の違いだとか、不要なものに必要なものが破壊される理不尽さだとか、そういう小難しいことではなく単に不注意なだけだ。いい加減にしようと思う。
仕方なく流しを片付けつつ、傍らに置いてあったスポンジに細かく割れたグラスの破片が入り込んだ後、力一杯スポンジを握ってしまった光景を想像してざわざわしてみたりしていたのだけれど、そう言えばしばらく前、それに近い経験を実際にしかけたことがあったのだった。あれは学生時代、スーパーのバイトをしていた頃・・・だけど、もう眠くなったのでこの話はいずれ。
近く、マグカップを贈ってくれた人と合う予定なので、謝らなくてはならない。なんだか最近、物が壊れる話ばかりしている気がする。