子どものころの友人、Wにはある信仰があった。その宗教は戒律が厳しく、たまに学校行事との兼ね合いが難しくなることがあったが、通っていた学校の教師に理解があったのか、単に事なかれで行事に参加しないことを認められていたのかは分からないが、特別そのことで彼がクラス内で阻害されるようなことはなかった。私の知っている限りで、あることが起きるまでは。
中学年になったとき、今までは無かった学級委員というものが存在し、月一で各学年各クラスの委員が集まり、会議を行い、校内行事の裏方役を勤めていたことを知った。当然私たちのクラスも例外でいられるはずも無く、クラスから委員を選ぶことになった。運動はできなかったがえらく勉強のできた彼は「頭がいいから」という子どもらしい理由で委員に選ばれ、元々穏やかな性格であったために他人と衝突するようなことの無かった彼が選ばれることを教師も予想していたようで、またそれを望んでいたようだった。
だが、どうやらそのような職務につくことは戒律に反することらしく、仕方が無く別の者が選ばれることになり、何故か大して勉強もできなく少なくとも彼よりも他人と衝突をしていた私が選ばれることとなった。いざこざが起こったのは委員選出が終わり、教師が教室から出た後だった。クラスで幅を利かせている生徒が彼に「選ばれたくせに生意気」というようないちゃもんをつけ始めたのだ。数人に周りを囲まれ、「本当は選ばれてうれしいくせに」などと難癖をつけられた彼は泣き出してしまい、「どうして委員になれないのか説明してみろ」と言われていたが、さすがの彼もそれを相手が納得するように説明するのは難しいようだった。その場がどのように収まったのかは覚えていないが、少なくとも私がその場を治めたということは無いと思う。
選ばれた後の私はと言えば最初に出た会議にえらく居心地の悪いものを感じ、取りまとめをやっている教師が好きではなかったので二度目以降には出席しなかった。委員には二人が選出されるのだが、きっともう一人ががんばっていたのだろう、私のいたクラスが特に行事上で不利益をこうむるようなことは無かった。
Wがその事件以後クラスで孤立したかと言うとそうではなく、単に虫の居所が悪かったガキ大将が絡みたくなったから絡んだと言うだけらしく、クラスの誰からも一目置かれていた彼はその後も優等生でありつづけ、周囲との仲も以前と変わりは無かった。
一度、私の母親が彼の家に呼ばれたことがあり、帰宅後「色々勧められて困ったわ」と言っていたがその当時の私はその意味がよく分からなかった。
高学年になる年に私は引越し、それ以来その土地のかつての友人達とは連絡を全く取っていないので、Wがその後、どうなったのか、次第に行事が増えるであろう学校の中でうまくやっていけたのかどうかは知らない。